10月24日に東京女子体育大学で行われた日本安全教育学会で、大木研究室から齋藤文さんが発表を行い、また飯沼・山崎が見学に行きました。
今回この学会に参加したのは、私が現在着目している「地域と学校における防災教育」についての発表が行われることを知り、今後の研究へのヒントを得たいと考えたためです。この記事では私が特に印象に残った発表について紹介すると共に、考えたことをまとめたいと思います。
(日本安全教育学会 第16回東京大会 プログラム・予稿集)
【防災教育の今日的教訓と今後の展開に向けて】 澤野次郎氏
澤野氏は社会の過剰な防災教育への期待に対して警鐘を鳴らし、その上で「可能かつ災害時に有効な目標設定」「可能な場合における家族や近隣の救助」として自助の重視を説明していらっしゃいました。
私が着目したのは、ハードによる防災への限界そしてソフトによる防災が期待されている中での、「防災教育をすれば助かる」というようなある意味短絡的な考え方があることへの警告です。なぜこれに着目したかというと、自主ゼミでの内容と繋がる部分があると感じたためです。
※現在、大木研究室では「自主ゼミ」と題して毎週の研究会の後に2〜3時間、防災や災害等に関する文献を読んだ上で意見交換を行っています。
現在自主ゼミで読んでいるのは、矢守克也先生の『巨大災害のリスク・コミュニケーションー災害情報の新しいかたちー』という本です。
その中で津波てんでんこという言葉について、災害弱者や災害時要支援護者については「てんでんこ」に避難することが困難であるという、津波避難の課題について触れられています。矢守氏はこの課題を一気に解消する方法を提示することはできないとした上で、今なすべきことは「矛盾・葛藤・対立と真摯に向き合い、それらをわかりやすい形で表現(可視化)し、当事者を含め多くの人びとが、個別の事情を踏まえながら、その軽減・解決策を具体的に考慮するための仕組みやツールを整えることである」とおっしゃっています。
ここから学ぶことは、防災(に限らないかもしれませんが)というのは何か一つのアプローチで解決できるわけではないということです。てんでんこで全ての課題をカバーすることは不可能であるというのは前提としてあるものであり、ここで挙げられている課題というのは別の角度からのアプローチが必要であると私は考えます。
ある意味での過剰な期待そして短絡的な考え方というものが、自主ゼミでの気付きと学会における発表の二つをリンクさせるものでした。防災教育においてももちろんそれだけでは十分ではなく、ハードでの防災等も必要です。何か一つのアプローチについて「じゃあこういうときはどうするのか?」という疑問が浮かぶのであれば、別のアプローチ方法に目を向けることも必要となります。
課題解決のために必要なのは、足し算とそれを超えたかけ算なのではないでしょうか。
【齋藤さんの発表を聞いて】
齋藤さんの発表内容は以前何度か聞いたことがありましたが、あえて学会で聞くことの醍醐味の一つとしてあるのは「他者からの視点」です。普段は研究室という同じ考えを持った集団の中で研究をしているために気付かないことでも、学会で他の方から出た質問を聞くと、新たな視点を得ることができます。今回も、研究室では出たことのない疑問等を聞くことができました。
学会を見学することはこれが私にとって初めての経験でしたが、非常に充実した学びの機会となりました。